風の者から見た能登|能登町不動寺公民館祭りでのスピーチ
本日は能登町にある不動寺公民館祭りでのスピーチの予定でした。
諸事情により中止となった為スピーチの内容をこちらに掲載しようと思います。
今回のテーマ
今回のテーマは2つ。
❶ イカの駅つくモールの紹介
❷ 風の者(移住者)から見た能登
時間は15分ほどを予定していました。ブログですので自己紹介は省きます。
イカの駅つくモール
2020年4月22日(水)にオープンするイカの駅つくモールはレストラン・直売所・カフェ・展示場・遊覧船・マリンレジャー(ダイビング・カヤック・SUP)などが楽しめる観光交流センターです。
小木特産のイカや周囲の海岸景観を生かす新たな観光施設の役割と、能登内浦観光ルート形成の前線基地という2つの役割を担います。
数値目標
2020年度は入込数7万人、売上高1.3憶円を目指し、社員9名、アルバイト15名体制で開業を迎えます。未だ求人を行っておりますので、興味のある方はイカの駅のHPか、ハローワークにて求人内容をご覧頂きご連絡頂ければと思います。
風の者(移住者)から見た能登
さて、本題です。
能登では移住者を風の者、地元の方を土の者と言うそうですね。今回初めて知りました。
今回は風の者として能登の良いところや悪いところを話せば良いのでしょうか? (笑)
大切な事は主体的に生きること
結論から言うと、人生を主体的に生きることで環境の良し悪しは関係なくなると思っています。
目に映る景色や環境は見た者がどう捉えるかによって異なり、如何なる環境でもベストを尽くせるよう人格を磨くことが重要だと考えています。
少しだけ私が能登に移住する前の話をさせて下さい。
東京には帰らないと決めていた
私は東京都の町田市という所に生まれ、自営業を営む家で普通に育ちました。大学は沖縄に行き、17年間沖縄で過ごしました。
25、6の頃だったと思います。直観的に東京には帰らないなって思ったんです。
父は私が幼い頃から自然の中で遊ばせる人だったので、いつの間にか自然豊かな暮らしを求めるようになっていたんです。
だから沖縄で何年か住んでいる内に、もう東京で生活はしたくないって思ってしまったんです。
家族について論理的に考えた結果
東京では生活したくないと思いましたが、何年も経って両親が年老いたらどうしようかとも考えました。
でも少し考えたら直ぐに答えは出ました。
両親にはこう言いました。「東京に戻って生活はしたくないから俺は帰らない。でも、もし2人に何かあっても俺が最後まで面倒を見るから、その時は俺がいる所に2人が来て欲しい」
今から15年程前の話です。両親は「わかったよー」程度の返事だったと思います。お、将来は沖縄で悠々自適な生活か?なんて思ったのかもしれません。
東京でも沖縄でもない能登にいる理由
あれから時が過ぎ私は能登町の寺分出身の妻と出会い結婚をしました。
今皆様の目の前にいる通り、私は沖縄でも東京でもなく能登半島の先っぽにある所に移住しました(笑)
能登に来た理由もお話します。
私と同じことが妻にはないのか?
妻は私の考え方に共感し、将来私の両親が沖縄に来ることを快く思ってくれていました。
将来の話も出来、順調に過ごしていたある日妻の祖父が亡くなりました。
葬儀に参列する為私も能登に行くことになり、この時妻の親戚殆ど全員に会いました。
今まで見た事ない位皆仲が良い親戚たち
親戚たちと数日過ごして思った事は、皆本当に仲が良いということ。
沖縄も親戚同士の関係が強い所でしたが、妻の親戚はそれらを圧倒的に上回っていました。
親戚皆が集まっている場にいる妻はとても楽しそうで、幸せそうでした。
この時思ったんですよね、自分の事や自分の両親のことしか考えて無かったって。沖縄に行ったら妻は両親や親戚と会う機会がものすごく減ってしまう。
果たしてそれで良いのか・・・?と。
沖縄に帰ってから妻にその事を聞くと、「私は嫁ぐのだから仕方がない」と言いました。
古風で良い妻でしょ(笑)
でももう少し考えて自分の本当の気持ちを聞かせて欲しいと伝えました。我慢しているなと思ったんです。
すると、数日経って「もし我がままを言えるのなら家族の傍にいたい」と言ってくれました。
この他にも色々理由はあったのですが、兎に角双方の家族を含めた我が家なりの幸せの形を考えるようになりました。
双方の家族の幸せと私たちの幸せを論理的に考えた結果
これも簡単な事でした。
私たちが妻の実家からさほど遠くない場所に移住し、私の両親をその近くに呼ぶ事です。
その為には仕事を辞め、家を片付け、移住をしなければなりませんでした。
でも人生の目指すべき所が分かっている時、人間は物凄い行動力を持っているものです。
あっという間に移住し、能登での生活がスタートしました。
私の目に映る能登
さて、ここまで自分たちで考え判断し行動して来ました。
そんな私が能登に来て、「こんなはずじゃなかった」とか「なんもない」なんて言うでしょうか?
もし私がそれを口に出したら、私の生き方を自ら否定する事になってしまいます。
環境は私の幸せを侵害する事ができない
私が求めるものは家族の幸せです。
それは妻と私双方の家族が近くにいて、限られた時間を出来るだけたくさん過ごす事です。
何かを得るには何かを失いますが、失うものよりも大切なものを得る事が分かっていれば、失う事はなにも怖くありません。
そして覚悟があれば如何なる環境でも楽しい事を見つけることが出来、今いる場所が最高の場所になります。
幸せとは心の様相なのだと思います。
過去や他と比較するのはナンセンス、今を懸命に生きる
沖縄や東京といった私の過去の暮らしから様々な比較を問われることがありますが、そういった比較に関する答えは持ち合わせていません。
常に今と未来を見据えて楽しい事を探しているからです。
沖縄での日々は確かに充実し、得難い経験や誰も知らない沖縄を満喫しました。
離島にもたくさん行き、島々を旅し、星に包まれるとしか表現出来ないほどの美しい夜を何度も過ごしました。夜の海を航海し何百キロと海を渡り、サンゴの産卵やジンベイザメやクジラと泳ぎウミガメに乗って何十メートルも海を潜りました。
でも沖縄には今の幸せはありません。私には能登にいる事が今の人生で一番幸せなことなのです。
仕事もそうです。業種業態は勿論、規模や事業内容に納得がいかなければ自分で切り開けば良いのです。選択は多岐で判断は自分自身です。
まとめ
2019年8月に長男が生まれました。妻は41歳で初産だったのですが、3年程不妊治療を行った末だったので本当に嬉しい出来事でした。
そして2019年11月には私の両親が珠洲市に移住しました。
思い描いた通りの人生へと進み、両親に親孝行できているなと実感しています。
今まで1年間で1回会えば良い方だった私の両親とは、週2~3回食事をして孫の面倒も見てもらっています。
同様に妻の両親や親戚とも良く遊んでいます。
私は人生は思い描いた通りになると思っています。強く望めばその方向へと行動が変わり、結果として描いた未来の実現へと続きます。
そのためには主体的に生きることが大事です。
人生の結果や出来事を環境などの外部要因のせいにしないこと、人のせい、景気のせい、時代のせいなどにしない事です。
何事も自分で判断して、その結果を自らの選択の結果として受け入れる事です。
この考えはイカの駅つくモールの従業員にも徹底しています。
新しき事業の始まりに最も重要なのは、携わる人間の人格形成だからです。
そして何より従業員全員が思い描いた人生を歩んで欲しいと思っています。
私の中で仕事とは生活の糧を得る為の一手段だけではありません。仕事を通じて人格の向上を図る場でもあるのです。
不動寺公民館の皆さまへ
今回はお声かけ頂き本当にありがとうございました。
当日皆様とお会いできなかったのは非常に残念ですが、機会があればまたお声かけ下さい。
投稿者プロフィール
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株)KOSSHAELのつくモール事業部長
能登町小木に出来るイカの駅つくモールの駅長をしています。
イカの駅つくモールは2020年4月開業予定です。
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